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2010年秋にWA州シアトル近郊に移住しました。家族4人(夫のEd、2011年11月生まれの娘、ミニチュア・ピンシャーのKOKO)のゆるやかな日常を、記録しています。
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HN:
ZIZI
性別:
女性
自己紹介:
2010年10月末に、アメリカに移住・見た目はアジアンだけど中身は完全にアメリカ人のEdと結婚しました。2011年3月にミニチュア・ピンシャーのKOKO(♀)、11月に娘が加わりました。
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そこにいてくれるだけで

子育ては大変、って昨日書いた後、CT州Sandyhook小学校での銃撃事件について、知りました。

あまりに酷い事件で、映像を見るのは辛すぎます。

Edも、帰ってくるなり、凄い形相で、ニュース見た?と聞いてきて、ずっと怒っていました。

亡くなった子供達と先生達、お子さんを亡くした親御さん達、自分が死ぬかもという恐怖に直面し、友達を目の前で殺されたという辛い経験をした子供達、守るべき子供達を守れなかった先生達、それぞれのことを考えると、比喩ではなくて、胸が痛いです。

これまでも、学校での銃乱射事件や、一般市民が巻き込まれる事件が数多く起こっており、その度に銃規制についての議論が持ち上がっていると思いますが、しばらくすると、何事もなかったかのようになってしまう。

銃規制に関しては、色んな要素が絡み合っているので、簡単な問題ではないのですが、どうにかならないのか、と、もどかしい気持ちに襲われます。

子育ては大変だけど、でも、元気でそこにいてくれるだけで、この大変さはなんでもない、と娘の笑顔を見ながら思いました。この笑顔が、何の前触れもなく、突如、むごい形で失われたら、私だったら、どうなってしまうのか、想像することすら辛すぎます。

亡くなった方々のご冥福をお祈りします。



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消えゆく小店舗

個人で経営しているような、小さなお店が、好きです。

初めてアメリカに来た時は、巨大なショッピングモールに感動しました。短い期間しか滞在しない旅行者には、様々なアメリカブランドのお店を効率よく周ることができるし、食事もできて、映画も見れるし、「アメリカっぽい」気がして、楽しかったものです。

でも、どの州に行っても、モールに入ってるお店はほとんど同じなのですよね。今、かなり大きなショッピングモールの近くに住んでいますが、滅多に行きません。

しかも、インターネットの普及と共に、お店まで行かなくても、欲しいものが気軽に手に入るようになってしまって、お店で買う、ということが、昔より減ったように思います。

これは、日本でもそうだと思うのですが、アメリカでも、個人商店がどんどん減っているという現実があるようです。実際、フリーモントやバラードにある、気に入っていたお店が、ここ2~3年くらいで、何軒かなくなってしまいました。先日も、友人から、また、バラードにあるお店が1軒消えたことを、教えられました。

13回忌に思う、儀式の意味

先週、3週間ちょっと滞在してくれた母が帰国しました。
やっぱり、母がいた間は楽だったようで、この1週間、1人で娘とKOKOの世話と家事をするのでいっぱいいっぱいでした。

母が日本に着いた日が、父の13回忌でした。
帰国直前、母が、「そろそろ仏壇を買おうと思う」って言ったので、ちょっとビックリしました。
12年前、父が定年を目前に急死した後、頑なに仏壇を買うのを拒んできたので。
私や弟達が、買った方がいいんじゃない、と言っても、「仏壇を買ってしまうと、本当に死んでしまったと認めるようで。仏壇がなければ、単身赴任でいないって気がするじゃない。」と言って、買わなかったので。

でも、こちらに来る前に、13回忌の法要を済ませてきたので、心の区切りがついたのかもしれません。

儀式というのは、人の心に現実を受け入れさせる意味を持つのかも、と、改めて思いました。

訃報

3月に亡くなった母方の祖母に引き続き、93歳だった父方の祖母も亡くなったと連絡を受けました。
父方の親戚には色々複雑な事情があって、元々
疎遠ではあったのですが、父が亡くなった後、それまで以上に疎遠になってしまったので、祖母とも、3年前に会ったのが最後です。

父の父、私の祖父は、父が物心がつく前に、第二次世界大戦で、サイパンで戦死しています。
結局、遺骨すら戻らず、祖母は、乳飲み子を含めた3人の子供を女手一つで育て上げるため、物凄く苦労をした人です。戦没者の遺族年金が支払われるようになったのは、戦後ずいぶん経ってからだったらしく、ずいぶん大変だったようです。

近親者が戦争で命を落としているにも関わらず、戦争のことを直接知らないということに罪悪感を感じ、一時期、第二次世界大戦関連の本をよく読んだりしていました。そういえば、戦争を知らないこどもたち、っていう歌が流行っていたような。(ベトナム戦争がテーマのようですが)

若さの勢いで、祖母にも、どんなだったか教えてと何度も詰め寄ったことがあります。でも、祖母は、頑なに口をつぐみ、忘れた、の一点張りでした。父も、子どもの頃の話は、ほとんどしてくれませんでした。
不満に思っていたこともあったのですが、父のアルバムで、父が祖父と写っている写真と、祖父が撮ったらしい、父がハイハイをしている写真を見つけてから、人には決して聞いてはいけないこともあるのだ、と、ふと思ったことを憶えています。
セピア色のぼろぼろに擦り切れた、ぼんやりした、ただのスナップで、他の写真とは別に隠してあるように挟まれていました。それを見て以来、戦争のことを調べることを、段々しなくなりました。

祖母が亡くなったと聞いて、そういうことを思い出しました。子供の頃には、まだ少し近いように感じた第二次世界大戦も、もう、遥か彼方の話のような感じもしてきています。でも、いつかサイパンには行かないと、とは思っています。

父が亡くなった時、私が代わりに先に逝きたかったと泣いていた祖母。お腹に子供がいる今は、その気持ちが痛いほどよく分かります。私は、また遠く離れたまま逝かれてしまい、悲しいのですが、今頃、祖父と父と天国で再会して、喜んでいるといいなと思います。

The Diva Cupを選ぶアメリカ人はやっぱり合理的!?

今日の話題は、女性限定です。
生理用品のことです。

アメリカに来るに当たり、一番心配だったのが、生理用品です。というのも、私、アメリカの製品を使うと、大抵の場合、かぶれてしまうのです。
海外引越しを頼むつもりでいたので、日本の製品を大量に持ち込もうかとも考えていたのですが、今のところ、アメリカには永住するつもりなので、毎年日本に帰国して持ち帰ってくるというのも非現実的だなぁ、と悩みました。さらに、日本の製品がよいか、と言えば、日本製でもかぶれることはかぶれます。アメリカ製品よりはマシ、というくらい。

どうしようかなあ、と考えているときに出会ったのが、布ナプキンです。
多分、最初に見たのは、どこだったか忘れましたが、青山ブックセンターだったと思います。本屋の一角に、カラフルでセンスのよい布製品が陳列されていたのです。布の柄に惹かれて手に取ってみたら、生理用布ナプキン、と書いてあり、かなりビックリしたのを憶えています。
(慌てて商品を戻した記憶が・・・)

結構、衝撃だったので、ネタとして友達に話したら、その友達は、「最近、広がってるよねー。なんでも生理痛が軽減したりするらしくて、使い捨てのものより体にはいいみたいだよ。」と言うのです。彼女自身も一時期使っていたらしいのですが、買った商品が使い勝手が悪く、今は止めているとのこと。
ただ、身近で使っている人がいたことを知って、急激に興味が湧いてきました。


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