私は、父が急死したとき、アメリカでファイナル(期末試験)の真っ最中でした。
留学に大反対していて、アメリカに出発する当日の会話でも、反対の言葉しか言われなかったのに、母から聞かされた遺言は、「中途半端に帰国するな。当初の目的を果たしてから戻ってこい。」でした。
全ての試験と課題を済ませてから帰国したので、私は、葬式にも参加できず、4カ月振りに会った父は、ただの灰になってました。
それ以来、未だに、父が死んだという実感がありません。
そのとき、初めて、葬式というものの持つ意味が分かったような気がします。
悲しみに折り合いをつけ、現実のものとして受け入れるための手続きなんだな、と思いました。
年忌法要というのも、同じような意味を持つのでしょう。
私も、実感がないとはいうものの、儀式を通して、少しずつ受け入れているのかもしれません。
以前は、父の死については、話すことすらできなかったのですが、こうして書けるようになったので。
17回忌には、娘を連れて行きたいです。
生前、自分に孫ができるなんて想像したこともないと母に言っていたそうですが、孫が墓参りに来たら、何を思うのかなぁ・・・。
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このぐらいの年月が必要だったんでしょうね。
そして、きっと、
天国のお父さんも、そのことは十分分かってると思う。
お父さんもあまりに急だったから、
魂は現実世界からはいなくなってしまったけれども、
ゆっくりと時間をかけて、お母さんの中の思い出とともに、
一緒に、生きてきたんだろうね。
ZIZIさんにとっては、
最期に言葉を交わせなかったとか、
顔をみることができずにごめんねとか・・・
そういう心残りが、大きなつっかえになっちゃうから、
事実としては受け止められても、
自分の中の現実としては、なかなか受け止めにくいものだったでしょうね・・。
でも、いいんじゃないのかしら。ゆっくりで。ね。
私なんて、いまだに、時々、泣くの。一人で。
急に、ホント突然思い出すことがあって。へへ。
ただ、私の場合は、
最期にまったく言葉は交わせなかったけれども、
でも・・骨を見て拾ったから・・・
だから、確実に事実として受け止められていることが
ZIZIさんとの違いだね・・。
あたしでさえ、受け入れにくいのだから、
ZIZIさんは、もっと難しいでしょうね。
年月の流れはあっという間。
おとうさんも数年後、17回忌で、幸せそうな娘夫婦と孫娘に
逢えるのをすごく楽しみにしてるだろうな・・・。
でも、もうずっと前から、
そばで見守っていてくれていると思うけれどね・・。