私は、父が急死したとき、アメリカでファイナル(期末試験)の真っ最中でした。
留学に大反対していて、アメリカに出発する当日の会話でも、反対の言葉しか言われなかったのに、母から聞かされた遺言は、「中途半端に帰国するな。当初の目的を果たしてから戻ってこい。」でした。
全ての試験と課題を済ませてから帰国したので、私は、葬式にも参加できず、4カ月振りに会った父は、ただの灰になってました。
それ以来、未だに、父が死んだという実感がありません。
そのとき、初めて、葬式というものの持つ意味が分かったような気がします。
悲しみに折り合いをつけ、現実のものとして受け入れるための手続きなんだな、と思いました。
年忌法要というのも、同じような意味を持つのでしょう。
私も、実感がないとはいうものの、儀式を通して、少しずつ受け入れているのかもしれません。
以前は、父の死については、話すことすらできなかったのですが、こうして書けるようになったので。
17回忌には、娘を連れて行きたいです。
生前、自分に孫ができるなんて想像したこともないと母に言っていたそうですが、孫が墓参りに来たら、何を思うのかなぁ・・・。
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